1.自然環境の育成について 06.5

  富山では、環境問題を観光資源の保護として保護柵や
観光歩道の設置といった技術的議論が多々ある。こうした
論議は当然としても、いまひとつ大事な視点が必要である。
それは、「住まい環境からの視点」である。ここに主張した
い。

  自然環境育成の問題については、「住まいとその延長とし
ての環境」の問題として捉えることにして、生活環境と自然環
境の両面からエッセイ風に論述する。  富山県外の読者の方
へ一言補足する。本文に登場する山について、立山は富山
のシンボルであり、精神的な支柱にもなっていることを念頭
において読んでください。

<1>.第一に、自然環境について。
 「富山は自然が豊富ですね、立山があるからですね」とよく
人から言われることが多いが、実は、これは「立山のみが自
然であり、他のものには関心がない」といった風潮そのものと
もとれる。なぜそのようにとるのであろうか。基本的な視点が
欠けているといいたい。

 山に限定して少し語ってみよう。私個人とし ては、山のすばら
しさを常に皆さんに熱っぽく伝えている。ある時は(心無いハイ
カーがいれば注意もする(そんなことはほとんどないが))、訪れ
た多くの方と山のすばらしさについて語り合ったこともある。  

またある時は、自然保護シンパのある団体からエクスカーション
で美女平(立山登山のときケーブル終点駅付近)のブナ林立ち
枯れを見学したいのでと案内を頼まれたが、私はそんなことより
大辻山(立山の前座の山)に登って立山の雄大さを鑑賞したほ
うが良いと助言してガイド役をも買って出たこともあった。

さらに東京からきた友人にも、富山の自然を堪能していただく
のも結構だが、自分らの身近にもすばらしいものがたくさんある
はずだから、それらを発見し育むことこそ、自然環境保全のベ
ースであることをご理解いただいたこともあった。

  こうして、山に登っては山のすばらしさを実体験で重ねていくと、
自然保護の切実さが理解され、またどんな形にせよ自然保護の
行動が身についてくるから不思議である。

 <2>  第二に生活環境について。
 富山では(これまで)持ち家率ナンバーワンといったことが、逆
に家庭や地域社会が健全であるかのような錯覚におちいらせる
ことがよくある。もちろん、現代文明社会において、効率優先の
生活環境が富山のみを特別扱いするはずもなく、場合によって
は家庭崩壊や地域コミユニテイ崩壊が静かに進行しているよう
にも思える。富山では、敷地に十分余裕があるにもかかわらず、
(子供の精神に障害を与えることが懸念されている)高層住宅
そのものが ほとんど無いにもかかわらず、住環境は都会に比
して圧倒的に良好なのにもかかわらず、そんなことを思う。

  これを何とみるのか。恵まれた自然環境や居住環境だからこ
そ、環境を案外大事にしない風潮が自然と身についたかのよう
でもある。居住環境は空気のようなものであり、環境の良さを堪能
するといういわゆる住まう文化が実は育っていなかったともいえる。
この機会にそうした文化を育みたいものである。

<3> 以上、まとめとして。
  今我らには、自然環境をも含め我らの生活環境に「自然に関す
る営み」が身についているかどうかが問われている。ここでいう(私
がいう)「自然に関する営み」とは、生活の中で良いものを良いとい
って実感していく体験そのものであり、これには、すばらしさという感
覚を研ぎ澄まし、すばらしい感動を十分蓄積していくことが必要とな
っている。 よって、結論として、自然環境育成についてはまずは
十分な自然鑑賞ですばらしいという感動を積み重ねていくべしとい
いたい。
  ただし、上記のことは我ら生活者側の話であり、自然保
護推進や環境構築の専門家側に対しては別途注文がある。それは、
専門家が市民の声をもっと聞き、本質をしっかりと把握することで
ある。

付録;観光について   08.11.14追記  
 立山・黒部アルペンルートに訪れる年間100万人もの観光客が、
都会に居住するかのような雰囲気での観光を楽しんでいる。まだ雪
深いGWのときでさえも、一の越(立山中腹で黒部ダムが見える)まで
ハイヒールや革靴で上られる方が少なからずいる。
 詳細議論は避けるが、そんな感覚が、形を変えていろいろな
ところで自然を破壊していることはいうまでもない。自然のすばらし
さの満喫は堪能する方の心構えも必要としており、観光の方々には、
生活環境を都会のものだけという狭い考えを捨て、もっと奥深くもの
にして欲しいものである。

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