10.景観について    07.05.25

  最近、各自治体では、中央駅周辺の景観を改善し
ようとか、メインストリートに乱立する野外広告塔を規
制しようとかいうことで、行政サイドが動き出している。
私は、規制の議論もさることながら、もっと身近な生活
環境を良くするといった基本に戻ったアプローチをす
べきと主張したい。

  富山はいうに及ばずいわゆる地方都市においては、
街の活性化を身勝手に進めることが無秩序な街並み景
観を形成し(広告看板乱立など)大きな問題となっている。
この種の問題では、民活として身勝手を奨励するかのよ
うな活力を期待するところが問題をこじらせているばかり
か、街を単に外見だけの見え方と見せ方で評価しようと
いううわすべりの対応も災いしており、街の生活観からか
もし出される社会性や公共性の観点がどう定着させてい
くのかという根源がいつもなおざりにされている。

  では、どうするのか。それは、景観が市民生活の営み
の一断面であるという観点にたって、生活の営みにおけ
る問題をひとつひとつ解決していくことしかないであろう。
私は、以下のような方策が必要と考えている。

 (1).身のまわりから社会性の熟成を図る。 自分の住ま
い環境が周りの環境を構成しているという観点をもっと持
つようにしたい。例えば使わなくなった家具や製品など生
活で不要になった物を無造作に自宅庭に置いている。プラ
ンターで花いっぱいにするのも必要であるが、美的感性が
にぶらないようにするためにも、そうしたゴミのようなものを
如何に片付けるかという社会性や感性を項目(5)の教育と
リンクさせて熟成したいものである。

 (2).地域の景観を守り育てる。 例えば、街路樹ひとつと
っても落ち葉が邪魔だから枝を切ってしまえといった声が
あれば惜しげもなく切ってしまう。都会の小さな公園は無
常にも枝だけの木が立っている。我らの生活空間をいか
に造り守っていくのかが問われている。生命体は人間だ
けではないことを、地域づくりや教育の観点からアプロ
ーチするしかないであろう。

 (3).街では生活の様相をありのままにみせる。 街の隅々
までが子供や大人の居場所となるようにすることにより、生活
の一断面の景観がますます人間らしくなる。外見の見え
方・見せ方ばかりではなく、人間らしい声の聞き方・聞こえ
方で街を彩りたいものである。

 (4).市民参加を実効的なものにする。 市民参加について、
パブリックコメントを募集したり、アイデアを募集したり、ヒア
リングを開催したりしていれば、市民参加が実効したといっ
て満足してしまう感がある。そろそろ、フィードバックの方法
を抜本的に考えてもいいではなかろうか。現場において市民
とのコミユニケーションをどしどし図ることこそ今日的課題
で ある。

 (5).感性教育をすすめる。 景観教育の背景にあるのは、
人間の感受性の育成にある。これが今危機にある。初等中
等教育では、図画工作や音楽の時間がどんどん削られ、今
中学では、美術と音楽を選択科目に使用などと中教審で
議論されているとも聞く。その一方では、総合学習として街
づくりや景観などといっても、木に竹を接いだような話であり、
根本的には解決は程遠いといえる。身のまわりから大自然
や人工環境(都市環境)までをトータルに扱って、人間らしい
感性を育成するために初等中等教育 機関や地域と連携し
て教育を進めていくべきである。

  まとめとして、一言述べる。
(どこの自治体にも設置されている)景観の専門的な委員会
は技術的な検討を旨としているのかもしれないが、いま少し
ヒューマンアプローチもいるのではないかと思う。街並み外
見の見え方ではなく見せ方でもない。ごく普通に生活をお互
いに視覚的にコミユニケーションしておけば十分といえる。

  富山らしい景観とは、富山という地における富山人の生き
方や営みそのものであり、もっといえば育んだ文化そのもの
ともいえる。これをもって富山発の景観形成の推進としたい
ものである。

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