文化と市民の関心についての意見
                                 09.12

 富山県が策定している文化振興プランの改定に際して、包括的な
意見を求められました。2009.12


 最初に「無関心」ということが取りざたされておりますけれども、解決策は
「文化財というものはいったい何のために残すのか」ということをもっと考え
ることにあると思います。もちろん、この場において歴史的価値、学術的価値、
地域的価値、生活的価値、芸術的価値の観点から議論はなされたことでしょう
けれども、そうした価値が市民にとってどういうかかわりをしているかという
ことになると、取り組みがやはり弱いように思うのです。

 それで、先ほど言われましたように、(市民が)いろいろな文化財とめぐり
合うチャンスを増やすということはもちろん大事だと思います。ですけれども、
寺院等の建造物も含めて文化財そのものもが加齢し、いずれは朽ちていくとい
ったことをもっと根源的に考えることも必要です。となると直ぐに「修理修復
を万全に」となりがちですが、そうではなく「なぜ生き長らえさせるのか」と
いうことです。これはやはり命の問題といえるでしょう。文化財はまさに生きて
いるのです。我らの生活しているところに、文化財は長く命をつないで我らと接
しているのです。そこには、若い生命も老いた生命もコミユニケーションし寄り
合いながら、生命同士がこなれていくことになり、生命が力強く育まれていきま
す。これが「残すこと」の最大の理由であり、また我らが大事にしたい視点であ
ると思います。そうした観点がないと、「文化の継承と創生」といったときの創
生も、実に軟弱なものになるのではないかと思います。紅葉を例にとれば、色鮮
やかに紅葉するには、夏にしっかりと養分を蓄えておかねばなりません。文化の
継承というのはまさにそういうことだと思うのです。そして、それが次の新しい
生命を生むということです。

 そうすると、若い人はどんなふうに養分をとっていけばいいのでしょうか。養
分イコール感性と考えますと、感性を磨くチャンスと場が少なくなっていること
が気がかりです。聞くところによりますと、中学の美術や音楽などの授業時間数
が私どもの頃に比べれば相当減っています。中教審ではそういう科目を選択科目
にしょうとしているとも聞いています。確かに情報社会ですから、いろいろなも
のを学んでいかなくてはいけないというのも事実ですけれども、感性というもの
をどうやって育むかを、もっと考えていきたいです。それには、世の中、発信、
発信といっていますが、受信する側、つまり個人の問題、人の問題、心の問題と
して、感受性に磨きをかけることが必要と思います。そしてまた、家庭の次元か
らの人間性醸成といったことも必要でしょう。

 ある中小企業団体の懇親会に呼ばれたとき、中小企業団体では社会貢献として
こんなことをしています、あんなことをしていますといっておられましたが、そ
んなことよりもお父さんたちは早く家に帰って、家庭でご飯でも一緒に食べれば
いいのではないでしょうか。そういう視点が根底にあるということを、(文化問
題においても)何かにおわせる方策があるかと思います。ちょっと長くなりました。



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