学園便り 2005.10.************************

     「我らの立山について」
       富樫豊

  皆さん、我らの精神的バックボーンは何といっても「立山」ではない でしょうか。
立山を見ながらの日常生活。立山について理解を深めて、今後にむけての糧に
しましょう。

●自然:富山の特徴はと聞かれたら、「山と 自然と水と森林と米」、特に「立山」と即
答します。立山は駿河の富士山と加賀の白山とともに日本の三名山であり、富山では
シンボル的存在として有形無形に(農耕や宗教など)我らの生活の営みに大きく関わ
っています。それは何といっても立山のスケールの大きな山容に根ざす畏敬の念によ
るものであり、また立山が(富山平野の東側に)大きく聳え立つ屏風による独特の気
候(夏の多湿、冬の豪雪)が野や山に実りをもたらしているためともいえます。

●いわれ:立山は、一つの頂を持つ山という よりも連峰そのものであり、「屏風のよ
うにそびえ立つので立山となった」といわれています。この他、立山の荒々しさ・力強さ
に着目して「ノコギリのようになっているとして太刀山が立山となる」といった説もあります。
ともあれ、立山は、平安期には立山連峰(毛勝三山から薬師岳までの連なり)の総称
でありましたが、時代が下るとともに、連邦の中心部にある立山三山(雄山富士の折立
のみの総称となりました。

●歴史: 平安末期以降の末法思想とあ いまって山は宗教的要素を強め、修行の場
となっていきました。特に立山の場合には、3000m級の高地が霊を招く極楽浄土となり、
また室堂平付近(地獄谷)にある数多くの噴気孔は地獄そのものを演出しています。極楽の
すぐそばに地獄があるのは立山だけであり、山岳宗教の場が一段と神秘性を富ま
せています。そしてまた、立山頂上には富士の折立や白山神社の系統のものまであ
り、さながら日本三名山の三宗教が一同に集められたことになっています。

●布教:修験者は、立山信仰の布教に曼荼羅 と称した絵巻物をもって全国各地で
活動したといわれています。曼荼羅には、「立山の開山の歴史」「立山の極楽と地獄」
「布橋の話(立山山麓にある橋。生前悪いことをした人は橋から落ちるとされている)」
が描かれています。なお。売薬の薬はもともとは修験者が持ち歩いていたという説
もあります。

●現代:立山は現代文明の荒波に洗われ開発 され、1970年の立山黒部アルペンル
ート開通によりそれまで20万人であった観光客が以後100 万人となり(環境問題はぬ
きさしならないところまできていますが)、より一層大衆化されてきました。それでも我
らにとっては霊験あらたかな立山の雄姿は依然としてかわらず、富山の精神的なバッ
クボーンとなっています。みなさん、そうでしょう。


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