学園便り 2004.10.*********************

  「学校って何なの?」                       富樫豊

  いざ面と向かって問われますと教師といえどもなかなか答えにくいもので
す。実はこうした鋭い根源的な 話が、学生とのコミユニケーでしょっちゅう出
てきます。もちろんプロ野球や浜崎あゆみがどうのこうの等の話のなかから
ですが、さすがプロの卵ともなると話 の端々に人生や物の見方などに造詣深
くなることもしばしばです。そんな話の中で持ち上がったのが、「学校って何」と
いうことです。もちろん、学校制度うん ぬんではなく「なぜ学校に通い、なぜ教
師から教わるのか」など、教育というスペースにおいて教師や学生のあるべき
姿は何かということです。日頃の授業の中 での数こまを紹介しますので、皆さん
も考えてみましょう。

  本題には入る前にひとつ。実は学生にがん ばるようにハッパをかけており
ます。よく引き合いに(建築以外の方でもよくご存知かと)世界的に著名な建築
家「安藤忠雄」先生の話をします。彼は高卒で す。英語もできないのに半年
間ヨーロッパに修行に行ったという。小さいときの熱い想いにより彼は独学で
建築を勉強し今はときめく建築家。すると学生は 「よっしゃー、おれも頑張ろ
うっと」。頼もしいかぎり。しかし中には「なーんだ、学校へ行かなくてもいいのか」
という学生もたまに出てきます。

  そこで本題。「独学でもいいのでは、なぜ 学校なのか」。これについても安藤
はこうも言っております。「学校へ行けなかったから独学の道を選んだ。専門を
極めていけば独学しかないが、苦労するのは もっともっと先に進んでパイオ
ニアとなってから」と。また「一人勉強でさびしかったことは二点。まず第一が、
一生懸命本を読んでも本は私に語りかけてくれ ない。第二には、自分で勉強し
ているが、勉強している方向がこれでいいのか、変な袋小路に入っていないの
か」と。
 彼の場合は、いろんな人との交流でそうし た二点を克服されたのでしょ
う。この話は、何も学生だけにしているわけではなく、我ら大人にも今でもいつ
でも当てはまるものと思っています。 

  続いて、本学での授業中での話し。学生が急に「本に書いて あることを何で教
えるのか、自分で本を読むから教師はいらないのでは」といって きました。「授業
では、本に書いてあることを教えているのではなく、本を道具と して教師が学生と
教育コミユニケーションをしているのです。そこを勘違いしな いで」と答えたこと
がありました。
 教育コミユニケーションとは教師と学生で 造るものです。教師だけが勉強して
コミユニケーションを成り立たせる ものではありません。

  以上のように,学校スペースでの人と人とのドラマ的な関わりをみました。では
皆さんは「学校」にどんなドラマを求め造っていきますか。皆 さん自身の成長ととも
に、そうしたものを練り上げていって欲しいです。それが若者の役割だから。


PS: 関連して今ひとつの話。立川志之輔の寄席 がオーバードホールでありました。
彼はTVでは落語をしないようにしています。理由は「こちらからはTVの前にい る
人の顔やしぐさも見えない。もしかしてビール飲みながら聞いていたり、しまいに
チャンネルをかえられたり、冗談じゃない」と。「寄席では息遣いや静かな 間合い
なども大事な場の雰囲気。音声や映像だけで芸がなると思ったら大間違い」と。
彼は客とともに芸を楽しみたいと主張していたのでしょう。



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