■■ 滑川宿および古町家の紹介

◆滑川宿まちなみ保存と活用の会、会員所有建物
 城戸家住宅主屋(旧神田屋商店) 
 旧宮崎酒造店舗兼主屋 旧宮崎酒造麹蔵 旧宮崎酒造酒蔵 旧宮崎酒造衣裳蔵
 廣野家住宅主屋、廣野医院
 小沢家住宅(旧小沢呉服店)
 菅田家住宅主屋(旧恋塚屋)
 養照寺(旧仮本陣・本陣所在地)


◆滑川宿まちなみ保存と活用について

1.保存と活用の取り組み
滑川市は、日本アルプスの出々を背にして営山湾に臨み、四季折々の美しい豊かな自然と
風土に恵まれた地です。江戸時代以降の旧滑川町域は、北陸街道沿いの宿場町として、ま
た加賀藩の年貢米など当地域の物資集散の港町として大いに販わいました。当時の様子は
、旧滑川町域に数多く残されている社寺建築や町屋や土蔵、そしてそれらが作り出すまち
なみによって窺い知ることができます。
1954年(昭和29年)に、旧滑川町は周辺六村との合併を経て滑川市となりました。1960年代
からは郊外での宅地開発が盛んになり、かつて繁栄した旧滑川町域からも人口の流出があ
りました。
今では住民の高齢化や空き屋の増加、建物の老朽化など町の空洞化が顕著になっています。
「滑川宿まちなみ保存と活用の会」は、歴史的・伝統簿都市景親を保存し、この地に伝
えられた歴史¨文化を、地域の発展へとつなげていく活動に取り組んでいます。

      旧北国街道の滑川宿、瀬羽町等

2.歴史的建造物(国登録有形文化財)
2.1 城戸家住宅主屋
城戸家は十八世紀後半に神田村(じんでんむら/現上市町)から領家に移り住み、「神田屋
(じんでんや)」の屋号で味噌・醤油の製造販売を行い、横町を経て江戸末期、瀬羽町に店
を構えました。その後、金物屋、貸し鍋、荒物屋も併せて営業していました。
現在の建物は江戸末期に建てられた住居と店、蔵が慶応二年(1866)の大火で焼失し、明治
初期から中期(明治二十六年)に再建されたものです。建物の造りは富山における町屋の外
観の特徴(コワキ、コヤネ、ガンギ)と、平面構成の特徴(トオリニワ、枠の内)を持ち全体
に良質の材や銘木を使用しています。店舗には作り付けの帳場を持っており、当時の店構
えをよく残しています。さらに、採光のための小さな櫓が広間の上に設けられています。

   城戸家住宅

2.2 旧宮崎酒造店舗兼主屋
売薬で財をなした小泉屋は、天明三年(1788)に酒造を開始。蔵宿を兼ね、肝煎などを歴任
した有力町人で、弘化以降、養照寺と交代で本陣を務めました。それまで本陣を務めてい
た大町の桐沢家が度々の火災や老朽化によって本陣を続ける事が困難となった為です。
宮崎家は明治八年(1875)に屋敷地を購入し、酒造や家庭薬の製造・販売など行い、「ボン
ボコサ」という屋号で親しまれ平成十九年まで営業を続けました。
現在の建物は慶応二年(1866)の大火直後に再建されたものと考えられ、トオリニワの側に
諸室を二列に配した町屋の形式を持ち、オイとトオリニワの上部は井楼(せいろう)組の
「枠の内」と呼ばれる造りが豪壮景観を呈しています。正面部分は建物に残る痕跡、明治
末期の写真、宮崎家当主からの聞き取り、「岩城家文書」の設計図などを基に復原されま
した。

  旧宮崎酒造店 

このほか、旧宮崎酒造麹蔵 旧宮崎酒造酒蔵 旧宮崎酒造衣裳蔵もあります。

  旧宮崎酒造麹蔵 旧宮崎酒造酒蔵 旧宮崎酒造衣裳蔵 

2.3 廣野家住宅主屋
この建物は深井家が堂宮大工・岩城庄之丈に依頼し建てられたもので、その後昭和初年頃
に廣野家が取得しました。入母屋造の屋根と町家風の出格子を持ちますが、内部は一転し
て細部まで凝った数寄屋風の書院造です。二階の軒の出が約1.8mと深く、屋根裏には桔木
(はねぎ)が入るという、社寺建築に見られる架構法が用いられた特徴的な外観となってい
ます。また、川に囲まれていることから「四川亭」と呼ばれることもあります。

  廣野家住宅

2.4 菅田家住宅主屋
恋塚屋典右衛門が現れるのは墓誌に文政、町史に元冶年間(江戸末期)と割に新しいのです
が、水橋下砂子坂にある菅田姓の菩提寺養楽寺近くには恋塚という字名が残っています。
この建物は明治初期に建てられたと言われ、現当主が平成二十二年に修復を行い、往時の
姿が蘇りました。特徴的な正面の上げ下げの蔀戸(しとみど)は近隣の建物にも見受けられ
ますが、時代と共に蔀戸の前に障子、さらに格子が取り付けられていきます。菅田家は蔀
戸だけという商家の古い形式を残していると言えるでしょう。

  菅田家住宅

2.5 廣野医院
廣野家住宅の北面に隣接し、通り側を正面とした(当時、前を流れる四間町川に橋を架け
ていました。)木造洋風建築で、平成九年まで開業していました。寄棟造りの正面外壁は
クリーム色モルタル仕上げで、正面の妻飾に洋風の繊細な彫物や鬼板を用い、昭和初期の
様式をよく表している建物といえます。

  廣野医院

2.6 小沢家住宅店蔵
小沢家は荒町で呉服商を営み屋号は「マンマ」と言いました。この建物は明治時代後期、
三代目・万治のときに建てられ、総三階建、黒漆喰で塗られた壁に観音開扉を持つ重厚な
土蔵造りで、棟の剣形雪割瓦や鯱(しゃち)、正面の起(むく)り屋根の下屋といった地方色
も垣間見られます。「滑川町誌」には「当時木綿々屋業の益々盛んなるに連れて、又た深
井小右衛門。菅田与左衛門。小沢万治が之を盛んにして、以て明治時代の滑川を賑やかに
飾りたり(後略)」と記されており、立派な店蔵(みせぐら)が建てられた理由が伝わってき
ます。

  小沢家住宅


3.活用 例年の行事です。今年の行事についてはHP先頭ページの スケジュールをご覧ください。

まつり:  雪嶋神社祭礼:5月中旬、七夕祭り:7月上旬、
ランタン祭り:8月中旬、ひな祭り:5月初旬、
音楽 :  琵琶鑑賞会:8月下旬、音楽の調べ:9月下旬、
風流 :  いけばな展:9月下旬―10月上旬、月見:10月、手芸とフリーマケット:11月初旬
エンターテイメント: フラメンコ:3月初旬、寄席、手品
啓発 :   街づくり講演会、街づくり勉強会:適宜

旧宮崎酒造におけるランタン祭り、ベトナム音楽演奏、こども獅子舞