18年度第3回 街中ゆったりカフェ 記録                    2018.06.27 場所:音杉公民館 日時:18年6月27日(水)、13時半〜15時 出席者:8人(Ao、Gos、Tak、To(湯)、To(杉)、Hir、Bun、Yam) 次第(進行役と題目)   :第一部 To(湯):山について、その2   :第二部 Ao  :越中ばんどり騒動、その2 ▲To:山について、その2  先月にお見せいただい屋山の写真を今回も駆け足で 紹介されていた。やはり、山は美しい。特に、剱岳に ついては、三窓や小窓、大窓の魅力を語っておられた。 会場は、うっとり感で満ちていた。  進行役の山への思いも語られ、特に道のない山が好 きとのことでした。 ▲Aoさん:越中ばんどり騒動、その2  1869(明治2年)におこったばんどり騒動について、 参加者3000人が定説となっている。3000人は舟橋の無 量寺に集まれたのか、寺のキャパからはとても無理。近 く広場に集まったのか、そんな疑問に応えておられた。  参加者3000人は確かであろうが、無量寺では幹部の みがあつまったとか、推察もできるが、やはりわから ないとしかいえない。  Ymaさんから井上江花の資料をもとに、その年には 米作が凶作だったことが騒動の原因のと披露されていた。 ▲▲ 詳細版 aoさん、越中ばんどり騒動  1869(明治2年)に騒動が起こる。そこを指導したのが塚越村の忠次郎。 嘆願書を村役人に送ったが返事なし。滑川の役人?が貧乏人はこじきの 施設に入れといったという。そうこうしているうちに、騒動となったと いう。  騒動は、弓庄の結城家、新堀の屋敷に入り,滑川まで到達。合流。そ こから魚津に行く。魚図の相馬家に入る。  黒部に行き、立ち寄り、入善に入る。青木村では、六本松にて逮捕さ れる。新川軍の戸村のやくにんをすべてやっつけるために、船橋から泊 まで向かった。二万人が一揆。無料時を出発から32000-3000人。  なお、江戸時代には寒冷期が続いたために、凶作による暴動が起こ った。 △ 打ちこわしの家は合計58,となった。59件を壊したという。11月3日 に。忠次郎はその後金沢に送られ処刑される。  塚越村では、石碑を建てる。村民は反対したがようやく建設。 忠次郎をしのんだ義人の碑が建立。宮崎忠次郎と明記された碑は後年にな ってからである。 △ 村民への影響は;忍耐、正義感、行動がある。詳しくは村史には記載 されず。 △ 舟橋村の図書館の人の対応が上市と違ってすこぶる良かった ▲次回  7月26日(木)13時半〜15時、音杉公民館にて。  進行役:Yam、  題目 :ばんどり騒動、井上江花の文献から       Aokさんの後を受け継いで、なぜ起こった       のか、社会の対応は、等について話題提供。