街中ゆったりカフェ、歴史 6月例会(6/11)  14年6月11日記述 1.今回の様相 今回は、特別仕立てで歴史談義「古代の歴史」について、三浦先生から お話をいただいて、談義を楽しんだ。 2.イベント紹介 2.1 高岡市美術館20周年記念の企画  「メタルズ」と題して古代から現代まで、6/28-8/31 2,2 大江戸博物館のイベント  日本各地を巡回  「発掘された日本列島2014」 7/26-9/15 3.古墳時代を中心に談義 ●三角縁神獣鏡について; ・埋葬の際に棺に据え置かれるのは魔よけらしい。 ・鏡の縁が三角形断面ゆえに、三角縁という。 ・裏面には神と獣が描かれている(レリーフ)。 ・表面(鏡面)はゆるい凸状の形態。光が広がるようになっている。また、模様 が浮かび上がるともいう。スクリーンの名時時代とはいえ、これは計算されたこ とかどうかは不明。  裏面にある5-6個くらいの小さな半球がついている。表 面整形(加工)の際に、そうした半球が影響した結果のようだ。計算づくかは不明。 ●邪馬台国論争  北九州説と近畿説があるが、最近は北九州から近畿までの広範囲な地域に複数 の国が存在した連合の形態。その中で一番の国が北九州にあった伊都国であり、 また交易で栄えていただろう奈良のまき向遺跡のところ。まき向遺跡では、公益 の中心として全国の土器がここで発掘されている。 ●弥生時代の国 全国にもすでに多くの国があった。東には埼玉県、群馬県から、西は宮崎などま で。 奈良県は周辺が山に囲まれていて天然の要害であったので、大きな国ができたの ではなかろうか。京都や大阪でもいいが、防衛の面で弱さがあったのではないの か。 出雲についてもなぜ出雲に大きな国が出来たのかは不明。交易路であったためか。 ●土器における表面の模様 どういうわけか写実性のものがほとんんどない。日本には技術的に写実のスキル がなかったわけではない。写実を否定して抽象模様が多いのは何ゆえか。埴輪で も、非常に単純なつくりである。犬の埴輪でも何でも。抽象化が魔よけなのか。 ●伝承 ・交易があると人が行きかい、物以上に何かを残すといったことで、どうも物語 を作りたくなるのではなかろうか。伝承が各地に沢山ある。ただし、伝承は史実 にあらず、留意したい。 ・大岩不動について、行基がしかも一日にして彫ったといわれている。しかしな がら、行基の時代には不動明王の概念がなかった。また、物理的に一日で彫れる はずもない。こうしたことは伝承であって、願望なのかもしれない ●中国の歴史書の表記  中国は覇者。周辺国は蛮族。その捉え方で、周辺国に関する記述があるという。 ・卑弥呼;どうも姫の神子が卑しいという字を使って卑弥呼になったのではという。 ・邪馬台国;これもどうも大和が邪を含んで邪馬台国となったのではないかと。 ●人骨などが残るには 日本は酸性土壌のため、有機物は分解されてしまう。今まで残っているのは、条 件が必要である。銅の容器に入っていれば、銅イオンによって酸化をまぬがれる ことはありうる。京塚で物が残るのはこのたぐい。また、貝塚ではカリシューム イオンが酸化を中和して、人骨が残ることが多い。 ●社会構造と生産水準 農耕社会では、土地が生産手段のため、土地管理を基にしてそれなりに社会構造 が確立されたとみる。これに対して狩猟生活では、さほどの社会構造は形成されず。 ●日本人 ・アイヌ人と琉球人が人種的に同じ。多種民族との混血が日本本土で盛んであり、 周辺域までいきわたらなかったと判断される。旧日本人が弥生人によって周辺に追 いやられたということではないようだ。 ・つい最近まで、騎馬民族が日本に入ってきて弥生人となり、縄文人を駆逐したと いった説があったが、今では完全に否定されている。 ●立山信仰 立山信仰は(黒部や)魚津、(滑川)、黒川、大岩、芦くら、岩くら、と各地にある。 立山連峰がみえるところに住んでいる人々は、立山連峰を見て何も思わないはずは ない。立山信仰は、各地で期せずして起こったといえる。 ●発掘 ・立山黒部一帯で県を中心に文化財に関する検討会を開いている。 ・多摩ニュータウンの場合、全山をはいで調査をした。 ・国分寺でも新築のときに表土をはいで調査がすすめられている。 ・高台移転も縄文遺跡調査をすることになる。文化財法は特例を認めていない。認 めれば法は穴だらけになるから。 ●富山のことを知るには 奈良平安時代では、行政文書に富山の荘園ではどれだけの米が取れてといった記述 があるという。歴史書や風土記述書があるわけではない。  近世になると、お寺が戸籍管理をするようになって、古文書として種々残っていく。 ●上市について 上市は交通の要所であった三日市(上市駅付近の地)の上にあるから上市となったよ うだとのこと。